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浦和地方裁判所 平成2年(ワ)30号 判決

本訴原告・反訴被告(以下「原告」という。)

林茂夫

右訴訟代理人弁護士

大久保和明

本訴被告・反訴原告(以下「被告」という)

矢作康之

矢作桂子

矢作啓行

大倉圭子

関根和子

矢作充宏

矢作啓司

矢作茂代

右被告ら訴訟代理人弁護士

飯野仁

田村亘

主文

一  原告の本訴請求を棄却する。

二  原告は被告らに対し、金九〇万二〇九六円を支払え。

三  被告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、本訴反訴ともこれを三分し、その二を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

五  この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  本訴

1  原告

(一) 被告らは、各自原告に対し、別紙物件目録一の建物「以下「本件建物」という。)につき、昭和二五年五月八日売買又は取得時効を原因とする所有権移転登記手続きをせよ。

(二) 原告と被告らとの間において、別紙物件目録二の土地(以上「本件土地」という。)につき、原告が本件建物の所有を目的とする賃借権を有することを確認する。

2  被告ら

(一) 原告の請求をいずれも棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

二  反訴

1  被告ら

(一) 原告は被告らに対し、本件建物を明け渡し、かつ、昭和六三年四月一日から右建物明渡済みに至るまで、一か月三万五〇〇〇円の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  原告

(一) 被告らの請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。

第二  当事者の主張

(本訴)

一  請求の原因

1 本件土地、建物の所有及び相続関係

本件土地、建物は、かって訴外亡矢作権次郎の所有であったが、権次郎が昭和二二年八月一二日死亡し、権次郎の子矢作正蔵の代襲相続人被告矢作桂子、同矢作康之、同大倉圭子、並びに権次郎の子である矢作行雄(以下「行雄」という。)及び矢作茂代が本件土地及び建物を相続した。

行雄は、昭和六〇年五月一〇日死亡したが、同人の相続人は、妻矢作なかと右両名間の子被告啓行、同和子、同啓司、同充宏であり、次いで行雄の妻矢作なかが平成元年三月一日に死亡したが、同人の相続人は、被告矢作茂代を除くその余の被告らである。

2 本件建物の売買等

(一) 原告は、昭和二五年五月八日行雄の代理人鈴木平次郎との間で、「本件建物を原告が代金三万円で買受け、本件土地を原告が本件建物の所有を目的として、地代月額二〇〇円で借り受ける。」との建物の売買及び土地の賃貸借を内容とする契約を締結した(以下この契約を「原告主張の契約」という。)

(二) 原告主張の契約の存在は、次のことからも明らかである。

(1) 原告と鈴木平次郎との間に取り交わされた契約書(〈書証番号略〉)の記載は、原告主張の契約の存在を認めるに十分である。仮に、被告の主張のとおり三万円が本件建物の造作等の代金であるとすれば、異常な高額になってしまう。

(2) 本件建物は、当時すでに建築後相当年数を経ており、また当時の貨幣価値からみて、三万円は本件建物の価格にほぼ相当し、二〇〇円は本件土地の月額の賃料として相当なものであった。仮に被告らの主張するように、本件建物の賃貸借であったとすれば、賃料(月額二〇〇円)の実に一五〇倍という法外な高額権利金を支払ったことになり、二〇〇円の賃料も家賃であるとすれば、通常の二分の一以下である。

(3) 原告は昭和四八年行雄に対し本件建物につきプレハブ住宅の増築を申し入れ同人の承諾を得、また、これまでに本件建物の修繕を一貫して行ってきたが、これについて行雄らに承諾を求めたことはないし、行雄や被告らから異議を言われたこともない。

3 他人の物の売買等と行雄の権限

原告主張の契約締結当時、行雄の有していた本件土地、建物の持分権はいずれも三分の一であり、本件建物の残り三分の二の持分については、他人の持分についての売買であり、本件土地の残り三分の二の持分については他人の物の賃貸借である。しかし行雄は、当時本件土地、建物を処分する権限を有していた。。

4 本件建物等の占有

原告は、原告主張の契約の締結当時、行雄に代金三万円を支払い、それ以来本件建物に居住して占有し、また本件土地を本件建物所有の目的で占有して今日に至っている。なお、本件土地の地代は、昭和五五年頃以降は月額三万五〇〇〇円である。

5 時効取得

仮に、行雄が前記3の処分権限を有していなかったとしても、原告は当時この事情を知らず、本件土地、建物が、行雄の所有であると過失なく信じて原告主張の契約を締結し、以後これらを前記のとおり占有してきた。

したがって、原告は、昭和三五年五月八日の経過により本件建物の所有権及び本件土地の借地権をいずれも時効により取得した。仮に、本件土地、建物を行雄の物であると信じたことについて過失があったとしても、その二〇年後の昭和四五年五月八日の経過により右の各権利を時効により取得した。

6 原告は、本訴の訴状で時効を援用した。

7 被告らは本件土地に対する原告の賃借権の存在を争っている。

8 結論

よって、原告は本件建物の所有権及び本件土地の借地権を、原告主張の契約又は時効により取得したので、申し立てどおりの判決を求める。

二  請求の原因に対する被告らの答弁

1 請求の原因1の事実は認める。

2 同2の事実は否認する。

(一) 原告の主張する日に成立した契約は、反訴請求の原因2のとおり本件建物を原告が賃借するというものであり、原告の主張するような内容のものではない。

(二) このことは、次の点からも明らかである。

(1) 原告主張の契約が成立したのであれば、その重要性に鑑み、本件建物の売買及び本件土地の賃貸借に関する契約書が作成されて然るべきところ、そのような契約書は存在しない。〈書証番号略〉が原告主張の契約書であるとは到底言えない。

(2) 原告主張の契約からすでに約四〇年を経過しているところ、本件建物について移転登記はされておらず、また、本件建物の固定資産税は一貫して被告の側で納めている。

(3) 原告がこれまで支払ってきた賃料は、地代としては高額に過ぎ、また、その領収書等に地代との記載はない。

3 請求の原因3のうち、行雄の本件土地、建物の持分を認め、その余は否認する。

4 同4のうち、原告が本件建物に居住してこれを占有していることは認め、その余は否認する。なお、後記のとおり三万五〇〇〇円は家賃であって地代ではない。

5 同5のうち、原告の本件建物の占有は認め、その余は否認する。

6 同6、7は認める。

三  被告らの主張(時効取得に対する抗弁)

原告と行雄との契約は、反訴請求の原因2に主張のとおり、本件建物の賃貸借契約であるから、原告に本件建物に対する所有の意思も、また本件土地に対する賃借の意思も発生する余地がない。

四  被告らの主張に対する原告の答弁

被告らの右主張は否認する。

(反訴)

一  請求の原因

1 本件建物の所有及び相続関係

本件建物は、かって矢作権次郎の所有であったこと並びに権次郎の死亡及びその後の相続関係は本訴請求の原因1に記載のとおりである。

2 本件建物の賃貸借契約

本件建物の共有権者であった行雄は、昭和二五年五月八日原告との間で、「行雄は本件建物を、賃料は月額二〇〇円とし毎月末日持参払いの約で期間を定めずに原告に賃貸する。」との建物賃貸借契約を締結した(以下この契約を、「被告主張の契約」という。)。なお、賃料(家賃)はその後順次改定されて、昭和五五年頃からは月額三万五〇〇〇円であった。

3 原告の債務不履行ないし背信行為

(一) 原告は、本件建物について所有権を、また、本件土地について賃借権をそれぞれ主張して本訴を提起したほか、昭和六三年四月分から被告主張の契約に基づく家賃の支払をしない。

被告らは、後記のとおり原告に対し、家賃の支払を催告したのに、原告はこの支払いに応じないで、平成二年五月二四日、平成元年一〇月分から平成二年五月分までの「地代」を供託し、以後同様地代の供託を続けている。

(二) 原告の右のような行動は、単に家賃の支払を怠っているというにとどまらず、他人の財産を領得するという犯罪的行為であり、賃貸借契約における当事者の信頼関係を破壊するものである。

4 契約解除

そこで、被告らは平成二年五月一七日到達の内容証明郵便で同郵便到達後一週間以内に延滞している本件建物の家賃八七万五〇〇〇円の支払を催告すると共に右期間内に支払がないときは本件建物の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたが、支払のないまま同月二四日が経過した。

5 結論

よって、被告らは原告に対し、被告主張の契約に基づき昭和六三年四月一日以降平成二年五月二四日迄の一か月三万五〇〇〇円の割合による賃料の支払い、並びに右契約の終了に基づき本件建物の明渡及び同月二五日から右明渡済に至るまで一か月三万五〇〇〇円の割合による賃料相当の損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する答弁

1 請求の原因1は認める。

2 同2は否認する。同日締結された契約は本訴請求の原因2のとおりである。

3 同3のうち、(一)を認め(二)を否認する。

4 同4は認める。なお、原告は被告側から地代の支払を拒絶されたので、これを供託しているのである。

三  原告の主張

仮に、原告主張の契約が認められず、被告主張の契約が認められるとしても、次の諸点からして、被告主張の契約において未だ信頼関係が破壊されたとまでは言えない。

1 原告は、本訴請求の原因2に主張のとおり、本件建物を買い受けたものと考え、行雄に対し、何回にも亙り原告主張の契約の存在を前提として本件建物の改築の承諾を求めてきたのであり、突如本訴を提起したわけではない。

2 原告は、昭和六三年四月被告から賃料を地代として受領することを拒絶されたため同月分を供託した。供託の日時は本来の支払日からは遅れているが、賃料は全額供託されている。特に、被告から解約の通知があったので未供託分をその後一週間のうちに供託した。

3 被告らは、このように供託の事実を知りながら、原告に対し解約の通知をしたのは、この供託が家賃としてされていないからである。しかし、契約の内容が争われている以上原告の立場からすれば地代として供託するのは当然である。

四  原告の主張に対する被告らの答弁

原告主張のうち、供託に関する事実は認め、その余は否認する。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

第一本訴について

一請求の原因1(本件土地、建物の所有及び相続関係)の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、請求の原因2(本件建物の売買等)について検討する。

1  まず、原告の本件建物の居住等についてみるに、〈書証番号略〉、証人林克行の証言、原告本人尋問の結果及び被告矢作康之本人尋問の結果(以下単に「被告本人尋問の結果」という。)によれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(一) 原告は、かつて埼玉県川口市元郷の六畳一間の借家に居住していたが、子の出産を控えて、手狭となったため、もっと広い家に転居したいと考え、転居先を捜していたが、勤務先の取引先に勤めていた行雄が本件建物を所有し、当時空き家になっていることを知り、行雄に交渉したところ、行雄は、本件建物は、鈴木平次郎がかつて居住しており同人が引き続き管理しているので同人と交渉してほしいといわれた。

(二) そこで原告は、右鈴木と交渉した結果、〈書証番号略〉の契約書を取り交わし、その頃同人に三万円を支払って本件建物に入居し、それ以来妻子らとともに居住してきたが、昭和四五年ころから妻との折り合いが悪くなり、別居状態が続いているものの、本件建物には、引き続き原告の妻子が居住し今日に至っている。

2  そこで、原告主張の契約の存否、すなわち原告と右鈴木との間にされた契約の内容について検討する。

(一) 前記〈書証番号略〉、林克行証言及び原告本人尋問の結果中には、請求の原因1の主張に副う記載及び供述がある。

また、〈書証番号略〉(枝番号を含む、いずれも領収書等)によれば、原告は、①本件建物に入居以来今日までの間に本件建物の雨樋の取り替え、屋根の補修、畳の取り替え、窓や戸の交換その他の補修、修理を行い、昭和二六年三〇〇〇円余、昭和三七年、昭和三八年にそれぞれ七〇〇〇円余、昭和三九年一万円余、昭和四一年三万円余、昭和四三年一万円余、昭和四四年一三万円余、昭和四五年一万五〇〇〇円余、昭和五七年一八万円余、昭和五九年二六万円余をそれぞれ支払ったこと、②昭和二九年本件建物に二坪半ほどの増築工事を行いその費用三万七〇〇〇円余を支払ったこと、③本件建物に上水道及び都市ガスが設置された際にその工事費として、それぞれ昭和二九年に七〇〇〇円余、昭和三五、六年頃に三〇〇〇円余を支払ったことがそれぞれ認められる。

(二) しかしながら、

(1) 前記〈書証番号略〉には「矢作行雄所有ノ貸家ノ造作及権利売渡金トシテ」三万円を受領したと記載されているのであって、前記1に認定の事実を踏まえて右甲号証をみるに、その記載文言は、鈴木が行雄から借りていた本件建物に自ら加えた造作と自己の賃借権とを三万円で原告に譲渡する、というのであり、この記載から、原告が本件建物を三万円で買い受けたものと読み取ることはできない。

(2) 仮に、原告主張の契約が締結されたのであれば、その当時原告が本件建物を所有することを前提として賃借する土地の範囲、賃借の期間をいかにするか等が話し合いされて然るべきところ、そのような事実があったことを窺う証拠はなく、また原告の方から何らかの方法で本件建物の移転登記についての交渉が行われて然るべきところ、その後三十年以上もの長期に亙りこのような事について交渉がされた形跡もない。

(3) 他方、被告の側は本件建物の付近に本件建物以外に何戸かの貸家を有し、本件建物もその一つとして長年家賃収入として税務申告を行い、また長年に亙り本件土地に火災保険をかけてその保険料を支払う等してきた。

(4) 〈書証番号略〉によると、原告側で本件建物にクーラーを設置する際作成されたローン契約申込書に本件建物を借家と記載したり、本件建物をめぐって原告との間に紛争が生じ、賃料を供託する際にも供託書の賃借の目的物の欄に本件建物を記載する等、原告の側でも本件建物を原告の所有と確信していたとは認めがたい節がある。

(5) 原告が、前記のとおり本件建物に相当の回数にわたって修理費等を投じているが、本件建物に居住の期間が三〇年を越える長期に亙っているものであることからすれば、それほど頻繁なものではなく、また、その増築部分も約二坪半という比較的狭いものであり、更にまた、補修等に要した金額は、それぞれ当時の貸幣価値を考慮に入れても全期間を通じてみれば、それほど多額のものとは言い難い。

(三) 以上(二)に指摘の諸点に被告本人尋問の結果を併せ考えると、前記(一)に摘示の証拠及び事実だけでは、いまだ原告主張の契約の存在を認めるに十分ではなく、ほかにこれを認めるに足りる証拠はない。

(四) なお、原告は、本件建物の当時(昭和二五年)の価格として三万円は合理的な金額であり、借家権の権利金とすれは、法外に高額であり、当時支払っていた月額二〇〇円は通常の家賃の二分の一以下であると主張する。

しかし、昭和二五年といえば、戦後間もない時期であり、今日と比較して住宅事情は著しく悪く、またインフレの傾向も顕著であったことは公知の事実であり、このような当時の社会的、経済的事情並びに昭和五五年以降現在までの賃料額について当事者間に争いのない月額三万五〇〇〇円は、〈書証番号略〉及び被告本人尋問の結果によれば、本件建物の家賃であればともかくも本件土地の賃料としては相当高額であることに照らすと、前記三万円と二〇〇円の点は前記(三)の判断を左右しない。

三次に、請求の原因4、5及び被告らの主張(抗弁)について検討する。

1  原告が、本件建物を昭和二五年以来占有していることは当事者間に争いがない。

2 しかし、後記第二の二に掲記の証拠及び認定事実並びに前記二に述べたところからすれば、原告において本件建物に対する所有の意思並びに本件土地に対する賃借の意思は、いずれも客観的に存在していなかったものというほかはない。

3  そうしてみると、原告の時効取得の主張は採用できない。

四以上のとおりであるから、原告の本訴請求は理由がない。

第二反訴について

一請求の原因1(本件建物の所有及び相続関係)の事実は当事者間に争いがない。

二そこで、請求の原因2(本件建物の賃貸借契約)の事実の存否について検討する。

1 理由第一の二1に認定の事実、〈書証番号略〉、被告本人尋問の結果並びに理由第一の二2に述べたところを総合すれば、請求の原因2の事実が認められる。

2 〈書証番号略〉、林克行証言及び原告本人尋問の結果中この認定に反する部分は、理由第一に述べたと同一の理由により採用できず、ほかにこの認定を左右する証拠はない。

三次に、請求の原因3(原告の債務不履行ないし背信行為)について検討する。

1  〈書証番号略〉、林克行証言及び原告、被告各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。

(一) 原告が、昭和二五年に本件建物を賃借して以来昭和六二年暮れ頃までの間、殊に行雄が死亡した昭和六〇年頃までは三五年もの長きに亙って、これといったトラブルがなかっただけではなく、前記認定のとおり賃料は順次値上げされたが、原告側では本件建物の修理のほか水道やガスの施設などについてもその費用を自ら支出し、また行雄の子である被告康之の営む電気店から当時としては相当高額なクーラーを買い入れる等、円満な関係が継続していた。

(二) このような経過の中で、原告側では、原告の妻ヒロ又は原告の長男克行が行雄の生存中である昭和五九年から六〇年頃にかけて、行雄に対し、数回本件建物の立て替えを承諾してほしい旨の要望をした。これに対し行雄は、明確に承諾は与えなかったが、さりとて明確に拒否したわけでもなく、このことが両者の関係を格別悪化させるほどのものではなかった。

(三) ところが、行雄が死亡して後の昭和六二年一二月ころ、克行が被告康之方に賃料の支払いに赴いた折に、同人に対して重ねて本件建物の立て替えの承諾を求めたところ、被告康之から明確に拒絶された。そこで克行も〈書証番号略〉が念頭にあったことから、原告が本件建物を買い受けたものであり、その証文もある等と言ったため、両者間の関係がにわかに悪化した。

(四) 被告康之は、昭和六三年三月末頃、克行が同年一ないし三月分の賃料を持参した際、家賃としては受領するが、地代としては受領しないと言ったため、克行はやむなくこれに応じてその支払をした。

(五) 克行は、同年四月末頃同月分の賃料を持参して被告康之の妻に支払った。しかし、康之は、その頃すでに原告に本件建物の明渡を求める方針でいたため、これを直ちに克行に返還し、以後賃料の受領を拒絶するに至った。

(六) 原告側では、昭和六三年五月分以降の賃料を平成元年八月頃まで家賃として供託をしていたが、同年九月頃これを取り戻した上、同額の賃料を地代として供託している。

(七) その後も被告康之の対応は強硬で、事態の好転が見込めないことから、原告は平成二年一月一八日本訴を提起するに至った。

2  以上の事実関係からすれば、原告と行雄との本件建物の賃貸借関係は極めて長期間に亙って円満に推移してきたのであり、たまたま本件建物の改築の交渉において、直接契約の働に当たったことのない被告康之と原告の子克行との間のやり取りにより緊張関係が生ずるに至ったものである。

なるほど、理由第一の二及び第二の二に述べたところからすれば、克行が本件建物を買い受けたとか、その証文がある等と述べることは、いささか穏当を欠いていると言えよう。

しかし、〈書証番号略〉は前記認定のとおり、本件建物の賃貸借契約そのものを明記したものではなく、また、本件のように長期に亙る契約関係においいて、そこに生起するさまざまな事がら(例えば、本件建物の補修費を原告側で負担してきたこと等)を契約の当事者がそれぞれの立場から自己に有利に解釈しようとすることはままあり得ることであって、これを一概に非難することはできない。そうしてみると、克行が〈書証番号略〉や本件建物の補修費の負担等を念頭に置いて、前記のような発言をしたとしても、このことを重大な背信行為と見るのは相当でない。そして、克行が被告康之に対し、それ以上に好戦的な態度を示したものではない。更にまた、原告が本訴を提起したことは、好転が期待できない紛争の解決を裁判所の判断に委ねたことにほかならないから、このことを、強く非難することはできない。

3  このように見ると、原告側に本件建物の賃貸借契約の解除権を発生させるほどの背信的行為があったものと認めるのは相当でない。

四以上のとおりであるから、被告らの反訴請求中賃料請求、即ち昭和六三年四月一日より平成二年五月二四日迄の一か月三万五〇〇〇円の割合による本件建物の賃料九〇万二〇九六円の請求は理由があるが、その余の請求、即ち被告主張の契約の解除を前提とする本件建物の明渡及び契約解除後の賃料相当損害金の請求は理由がない。

第三結論

よって、本訴請求を棄却し、反訴請求のうち賃料請求部分を認容し、その余を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官清野寛甫)

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